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その手に触れられなくても~episode5➁~世界の子どもシリーズ―過去編―

2023年10月27日

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その手に触れられなくても~episode5➁~

 

 はっとすると同時に、パナトリアがわざわざこのタイミングで移動しながら耳打ちをしたこと、リアの表情を隠すようにしっぽを動かしてくれていることを繋ぎ合わせ、パナトリアのしっぽが完全に視界から消えるより前に、見張りのおおよその位置を把握する。
 きっと見張りがいるのは尋問室より部屋数個分くらい、女王の間寄りの位置。この会話は聞かれているけれど、耳打ちは聞こえない程度の簡易的な装置もしくは、人物が潜伏しているのだろう。

 すかさずリアはパナトリアの尻尾を大げさに避けるようにして、くるりと自然に身体の向きを変え、パナトリアを睨む。

「……やめて。リリーが無事なのか、言って。そうでないなら、私はリリーを自分で探しに行く。だから突っかからないで」

 パナトリアは自信満々に眉をあげ、ほんのりと右に口角をあげてにやりと笑う。今までならばその笑みはリアをからかっているようにしか見えなかっただろうし、周りからすればきっと、今もそういう風にしか見えない。けれど、今ならば分かる。これは、リアのことを嘘偽りのない者だとパナトリアが思ってくれているからこそ、心から全てを隠すことなく見せてくれる笑みなのだ。

「まあ、そう怒らないで。……リリーちゃんはね、正確にどうなったかは分からない。でも、みどりちゃんのリボンの件は無罪放免になった。これは女王に危害を加えようとしたかどうかだけでなく、レンナへの怪我のこともだよ……まじない自体が男除け兼悪意をもつ相手への防御にしか反応しないことが証明されたからね」
「……リボンの検査で女王への謀反の疑いだけでなく、レンナへの攻撃に関しても疑惑が晴れてるのね? なら、リリーもそれが伝われば大丈夫っていう……」

 リアが表情を明るくするのも束の間、パナトリアは静かに首を横に振る。

「いや、リリーちゃん自体が女王への危害を加える気がなかったと証明をしなければならない。場所が悪い。王宮の廊下で……魔法玉を派手にやりあって騒ぎを起こしてるからね」
「そんなっ。でも、それだって私を助けるために……」

 パナトリアが静かに頷く。

「まあ、本来ならね廊下で魔法玉なんて放てるような警備にしてる時点でおかしいけどね。……それに、階級があまりにも不平等すぎる。リリーちゃんは準ピンク。レンナは一応ピンクだからね。レンナから突っかかったとしても、ピンクの言い分が……現時点では通ってるんだ。自分たちは被害者だ、正当防衛だってね。みどりちゃんが女王への謀反を企み、一方的にリボンで攻撃して、リリーちゃんもそれに魔法玉で応戦したって」
「なんて嘘を……」

 無意識に腕を組み、片方の手を顎に添える。階級という言葉が強く引っかかり、はっとして、パナトリアの方を見ながら言う。

「要は、何を証言しても、このレムリアではピンクの意見が通るってことね……?」
「まあ、極論を言えばそうだね。階級順に意見が通るね」
「なら、ピンクの中でならどう? レンナよりも女王陛下の意見の方が通るわよね?」
「うーん? まぁ、女王陛下とレンナの意見が一緒でなければね」

 リアは視線を何もついていないパナトリアの腕元へと落とし、テトの腕には確かに腕輪のようなものがつけられていたなと、ぼんやりと思い返す。

「テトのエネルギー感知と聴取の記録は既に報告されていて、今からリボンの検査結果も提出されるんでしょう?」
「まあね。だからこのままいけばリリーちゃんの方の無罪が……」
「いいえ、このまま行って」
「えええ?」

 リアは視線をパナトリアに戻し、言う。

「テトは聴取で誰がいつ、どう魔法玉を放ったかを明確にしている。自分の感知結果と合うように、私たちに先に何があったのかを話させていたわ。ピンクの女王陛下に仕える側近として、腕輪をしている状態でピンクの女王陛下への報告として」
「あ~、なるほどね~」

 パナトリアの口角がどんどんと、愉快だとでもいうように、上がっていく。

「リリーは言い分を変えるだけでいい。私を守るために魔法玉を放ったのではなく、女王陛下のおられる部屋へと通じる道で不遜にも魔法玉を放つものがいたから、兼ねてから声をかけてくださっている腕輪を授かるに値する者と証明するために応戦した、と」
「ふむふむ。確かにそうなってくると、準ピンクでもリリーちゃんの言い分が通るかもしれない。テトくんの聴取の記録と警備の証言、リボンの検証を合わせると、レンナの言い分に矛盾が生じてくるからね。ピンク階級の言い分を信じるか、ピンクの女王陛下へ提出された報告書を信じるかってことか」
「いいえ、これは答えが明白よ。この海域では女王陛下が絶対だもの、ピンクのね。ピンク階級のいち人魚の意見とピンクの頂点に立つ女王陛下の命により行った検査結果を天秤にかければ必ず、女王陛下の命令の方が重視されるはず」

 途端、リアでも分かるくらいに壁際で何らかのエネルギーが動いた。それに気づいたのをパナトリアにしか分からないよう、頼むフリをして、パナトリアまでの距離を詰め、ゆっくりと一度ほど、瞬きをする。

「だからお願い。あなたも腕輪を持ってるんでしょう? リリーが確実に助かるように、リボンのまじないの発動時刻を証言して」
「ええ~。もう報告書は副隊長殿が先に出してるんだよ。後はこのリボンの提出で今日の私の仕事は終わりだったんだけどなぁ。女王陛下への意見書の作成は大変なんだよね。面倒だなぁ。どうしようかな~」

 パナトリアがリアに向かって軽くウィンクしたのをみて、先ほど覚えた見張りのエネルギーを感知しながら、少し声量をあげて続ける。

「意見ではなく、ピンクの女王に仕える人が、女王の命により行った検査の結果を、より丁寧に時刻つきで報告してほしいの。ねぇ、女王に仕える者がまさか、無罪の者を捉えて……本当に女王に危害を加えようとしている者を見逃すなんてこと、しないでしょ? だって、女王に誓ってるのだものね? ……もちろん、タダでとは言わないわ」

 パナトリアが嬉しそうに、口笛を吹く。

「いいね~。そういうの大好きだよ。女王に仕える腕輪を持つ私を見直してくれたってことだね? ……見返りの内容を聞いても?」

 リアはぐっと息を飲み、凛と前を見据える。

「研究室についていくわ。緑の魔力とやらを研究したいんでしょう? だからまずは、リボンの発動時刻のことを証言して」
「うーん、証言している隙に逃げられちゃったら困るんだけどなぁ」
「いいわ、まじないが得意でしょう? 約束しましょう、証言してくれたら研究室に行くって、今から何かしらまじないで」

 パナトリアがニコリと笑って、リアの手を取る。

「そうこなくっちゃね~。なら、話は早い。今から女王陛下にリボンを届ける手続きをするから、その時に発動時刻の報告書も一緒に添えるよ。……だからこのまま、一緒についてきてよ。王宮の私の部屋ならまじないの許可もおりてるから、そこで後日研究室に来てもらうと約束のまじない書にサインしてもらう」
「今から? ……私では女王への謁見はもちろん、女王の間に近づくことも許されない。提出について行ったら怪しまれるわ。ちゃんとあなたの部屋へは行くけれど、提出が終わるまでは王宮の外あたりで待ってるわ」
「いや、大丈夫。今はね、側近でさえ、女王への謁見は厳しく統制されてるんだ。側近の中でも、女王の間の前までしか動けない2軍と、女王の間以上に進める1軍の数名と、分けられている。大臣クラスの王宮勤めの者でさえ、もう女王には会えないよ。……女王へと意見報告や何かを提出するときは毎回、検問所で手続きをする。だからみどりちゃんも一緒に来て、むしろ、みどりちゃんは無罪だったと王宮の連中に印象づける方がいい」

 検問所、手続き……。そういう言葉に懐かしさのようなものを感じ、こめかみのあたりに鈍い痛みを感じる。
 ほんの一瞬、女王の間の向こうの底知れないエネルギーが、ブレたような気がした。

「……みどりちゃん? もしまじないで研究の約束をしてくれるなら日が昇りきる前に急ぎたいんだけど、いいかな?」

 ただすぐに、こめかみの鈍い痛みは治まり、女王のエネルギーはさらにこの海を飲み込むかのように、冷たく広がっていき、リアは身震いしてパナトリアに向き直る。

「……もちろん。私も早くリリーに会いたいもの」

 頷きあって、尋問室よりさらに奥へと進んだ左側にある、王宮勤めの者が与えられる部屋へと繋がる扉へと泳ぎ出す。
 二人が扉をくぐりきったのを見計らって、見張りとやらのエネルギーが一気に動き出した。向かうのは女王の間の方向。

 それと同時に、パナトリアがぐっとリアの腕を掴み、猛スピードで泳ぎ出す。

「いいか、ここから時間との勝負だ……!」
「わ、わかった!」

 きっとエネルギーを錯乱させるためだろう、パナトリアはあえてあちこちの使用されていない部屋から、倉庫のように使われている部屋、かつてリアがよく訪れたリリーの医務室まで、二人が通ってもおかしくない部屋をいくつもいくつも、通り抜けていく。

「検問所はここの一番奥なんだ。けど、行く前に色々と済まさなければならない。いいかい、さっき話したことは全て本当だ。ただ、ひとつ事実を付け加えるとすれば、レンナの言い分が通るんじゃない。わざと、レンナの言い分を通そうとしているんだ」
「え?」
「さすがに、大臣クラスになったらみんながみんな、女王に心酔しきってる訳じゃない。むしろ、止めようとしている者も……いた。私が来てすぐの頃も、あの女王に関しては、みどりちゃんへの接し方も含めて、思う所はあったよ? だけどここまで酷くなったのは、レンナたちが来た頃合いからだ」
「……レンナが騒いで、私は王宮から締め出されたと思ってたんだけど……」
「いいや、違う。表向きそう見えるようにしているだけで、その頃から裏で色々きな臭いことしてたよ。レンナの騒ぎにかこつけて、みどりちゃんから親しい者を引き離すようなね」
「つ……」

 言われてみれば、リリーだけの仕事が増え始めて、そのままリアだけが薬師の資格をはく奪され、王宮への出入りを禁じられた。テトは帰還後、休む間もなく女王の側近になり、まともに話したのは今日が久しぶり。その辺りでミキチェちゃんやチシリィちゃんとも会えなくなって、比較的優しかった町の人たちも店を閉めがちになり、とうとうリアに買い物を許してくれなくなった。

 考え込むリアの手を再びパナトリアがぐいっと引っ張り、泳ぐのを促す。Uターンしたかと思うと、今度は一直線にひとつの部屋へ向かって進みだす。部屋に着くや否や、パナトリアはバタリと扉を勢いよく締め、リアでは分からないまじないの詠唱を手早くする。
 その間に見渡すその部屋は、初めて入るけれど、すぐにパナトリアの部屋だと理解できた。図鑑のような本から、まじない関連の本が左右の棚にズラリと並べられ、扉の真ん前に位置する見事な彫刻の施された机には地図が描かれた球体のオブジェや何かの動物の骸骨などが飾られていた。

「まず、この部屋に閉じこもっていたことにして、今からその時間分で必要最低限のことを済ませていく。……順番はごちゃまぜでね。色々、行ったり来たりするよ」
「う、うん」

 次の詠唱を始めたパナトリアが、詠唱をしながらその精巧な造りの机の一番下の引き出しを開き、大きなショルダーバックを取り出す。それを手早く自身の身体にかけると、今度は首にかけていた貝の首飾りに触れ、その貝を鍵の形へと変化させる。

 驚いてポカンと口をあけるリアを見て、パナトリアは詠唱を続けたまま、初めてみる親しみのある笑顔で、リアに笑いかけてくれた。
 棚の中からいくつかの本を取り出したかと思うと、その本のうちの一つにその鍵を差し込み、そこからボロボロになった薄い本と綺麗な黄色い花型の貝の髪飾りを取り出し、切なげに瞳を揺らしながら、それらをバッグの中へとしまい込んだ。

「……あと、私後ろ向いてるから。移動まじないの詠唱してる間に、みどりちゃんも着替えるといいよ。私のでもサイズが微妙かもしれないけど……流石に着替えた方がいい。これ、新品だから」

 渡されたのは真新しい胸当てで、ほんのりとリアは頬を染めて、慌てて着替えだす。
 今のリアでは新しいものを買おうと思っても、きっとどこも門前払いで売ってなどもらえない。ご丁寧なことに、パナトリアは予備の分だろう、2セット、リアに譲ってくれたので有難くそれに着替え、古いものを畳んでパナトリアの机の上へと置いた。

 着替え終わったのを悟ったのか、パナトリアはいくつかの小道具が入れられた小袋をリアに渡してくれる。

「大丈夫。リボンのようにまじないはかかってないよ。みどりちゃんが普段使うほどの物ではないけど、一応、私も研究で薬のようなものを作る機会もなくはないからね。もう部屋には戻れないかもしれないから、みどりちゃんは着替えと薬を作る時にいりそうな道具をもっておくといい」
「あの、その……ありがとう」

 パナトリアがニカっと照れたように笑う。

「もちろん、これは普通にあげるやつ。見返りなんていらないからさ」

 胸がきゅうと擽られて、たくさんの辛いことがあったはずなのに、貰った道具や着替え以上に、もう一度、日の光が浴びられるところまで進もうと思えるような温かさを貰ったような気がした。

「大事にするね」
「あはは~。みどりちゃんは大袈裟だな~。でも、私も今からすごく勇気のいることをする。だから、そうやってみどりちゃんが言ってくれると……うん。頑張れる」

 パナトリアはいつの間にかまじないで不思議な紫がかった渦を部屋の中に作り出していた。その渦にパナトリアが触れると、リアがなじみ深い、王宮の管理庫がその向こうに映し出されていた。

「……腕輪が外れている今しか動けない。ずっとずっと、この機会を待ってたんだ。それがまさか、みどりちゃんと接触できるタイミングであったことは……不幸中の幸いだ。……こういうのを運命って、言うんだろうね」
「……腕輪、本当は嫌だったのね?」

 パナトリアは苦笑いしながら、リアの手をぎゅっと握る。

「いいかい? さっき話してたように、リボンの提出時に発動時刻の報告書を添える。だけどそれは、無罪を勝ち取るためじゃない。時間稼ぎのためだ。恐らく、みどりちゃんのさっきの言い分と証拠でいけば、リリーちゃんの無実は勝ち獲れる、本来ならね。ピンク階級内でいけば、レンナよりも女王の意見が通るのは間違いない。でもそもそも、ピンク階級のレンナが嘘をついたと認めてしまうと、ピンクの権威自体が落ちる。……だからね、どっちの意見が正しいかどうかではなく、全部を正しくするんだよ、向こうの希望通りにね。何を提出したとしても、私の提出するリボンの記録かテト君の証言か、何かしらが都合よく捏造されるだろう。それに一番まずいのはリボンの件まで覆って、それごと巧みに有罪にされてしまうこと」
「…………」

 リアはゴクリと唾を飲み、パナトリアの瞳を見つめる。

「だからね、1週間。いつも意見書を出すと、意見が向こうに渡って返答がくるのに、大抵それくらいの時間がかかる。……今回は急ぐかもしれないから、5日間くらいで考えていた方がいいかもしれない。さっきの会話をあの見張りがきっと録音か何かをして、報告してくれるだろう。それをそのまま利用して、向こうが油断している隙に、無罪を勝ち獲りに行くのではなく、逃げるんだ。リリーちゃんにもすぐに逃げるように伝えるから、万が一、リボンの件も有罪に変わってしまうことに備えて、先にみどりちゃんは逃げろ。……二人しか分からない待ち合わせ場所になりそうなところとか、ある?」
「……私を逃がそうとしてくれてるのね? でも……そんなことをして、パナトリアは? 大丈夫なわけない」
「みどりちゃんを安全なところに送ったら、私もすぐにこのレムリアを去るよ。……ずっと、みどりちゃんがあの時の子か確かめたかった。研究がしたいって追い回していたのは口実で、そのため」

 パナトリアが睫毛を伏せながら、眼鏡を外す。その瞳は先ほどと同じように、綺麗な文様のようなものをいくつもいくつも万華鏡のように浮かばせてはその形を変えさせていた。

「……私は守り人だ。その役目のためにいくつものことを奪われ、どれほどのものを失ったか分からない。ここに辿り着いたとき、憎しみで心が蝕まれてた。……でも、記憶がない君に再会して、奪われても変わらないものがあることに、希望を持とうと思った」

 全身に鳥肌がたって、何か声を出そうと思うのに、私は今目の前にいるパナトリアしか知らなくて、今目の前にいるパナトリアのこともきっと、何かを言い合えるくらいに詳しくはなくて、調べ回って薄々気づいていたことを誰にも打ち明けずに秘密にしていたことを、ひどく後悔した。

「……ごめんなさい。私……」

 情けなく謝ることしかできないでいる自分に、パナトリアはもう一度、ぎゅっと手を握りながら言ってくれる。

「君が悪いんじゃない。私も……今の名前をずっと呼ばずにごめん」

 リアは緩く首を振り、しっかりとパナトリアの目を見つめながら、成人前の名前を、自らの口で言ってみる。

「リギを……知っているのね?」

 パナトリアが目を見開いてから、それを細めて、少し泣きそうになりながら言ってくれる。

「……うん。出会ったときはリギちゃんだった。でも、やっぱり今はみどりちゃんって呼ぶよ。2回ほど、弟の命を救ってもらってる。みどりちゃんと、テトくんにね」
「……テトも?」
「うん。でも、これは私の口から言うことじゃないだろう? だから弟のことのお礼だけ……本当にありがとう。君たちが与えてくれた弟との時間は……自分の運命を背負ってこれから先を生きようと思えるくらいに、本当にかけがえのないものだった。……それで……ごめん。訳が分からないままでいいから、どうしても聞いてほしい」

 パナトリアはリギを知っていて、リギはやっぱり、テトと一緒に過ごす時間が多かったのだろう。今となっては確かめる術もない。何より、パナトリアにとって大切なことの一部を共有したのに、それを話してくれているのに、今のリアにはそれが……分からない。

 苦しい、全部が……苦しいよ。

 けれど、もう何も後悔をしないようにするのならば、今の自分にできることは、今、パナトリアが伝えてくれる言葉を、想いを、漏らすことなく受け取ることなのだろう。

 リアが小さく頷くと、パナトリアが握っている手を震わせながら、掠れる声で言ってくれる。

「……私が住んでいた海流の横が、狭間なんだ」
「狭間?」
「明らかに歪んだ。その歪みをずっと、隠して守っていた」

 今のリアにはその全てが理解できなくて、けれども、こんなにも震えながら話してくれているそれを少しでも分かりたくて、強く手を握り返す。
 リアが握り返す手をじっとみつめ、パナトリアは視線をリアの瞳に戻して、綺麗な文様の目を細め、切なげに微笑んでくれる。

「これが運命なら、すごく残酷なのに、これが運命だからやっぱり救いなんだ」
「え?」
「歴史は歪めてはダメなんだ。みどりちゃんのような子を海に閉じ込めるなんてしてはいけないし、でもやっぱり、みどりちゃんが海にいてくれたから、私は伝えて守り人に戻れる……」

 パナトリアが目を瞑り、深呼吸をして、真剣な眼差しを向ける。

「正しきものは時間も次元も歪めない。抗わずに繋ぐんだ。……歪めた歴史はもう戻らない。だけど、それをそのままに、きっともう一度、正してくれる人が現れる。ずっとそれを信じて、その時間が来るのを私たち守り人の一族は待ち続けていた。……私が生まれる遥か前から、突然、我が国の海流の横に、歪みが生じた。その日を境に当たり前のようにないはずの国がいつの間にか出来上がっていた。確かに海の歴史はそこでねじ曲がったけれど、狭間の真横に位置する私たちの国に住まうものは、そのねじ曲がった事実の影響を環境的に受けても、心身には受けなかった。だからその歪みを隠し、正すものが来るまでずっと……守ってきたんだ」
「……時間を……繋ぐ……歪める……」

 到底、この海から出たことのないリアには分からない話であるはずなのに、心がひどく揺さぶられ、全身に鳥肌が立ち、魂がブルリと震えたような気がした。

「その歪みのせいで、海域が明らかに7つから8つに増えたんだ。……でも、歴史を少しでも狂わせないよう我が国は自分たちの海域を無かったことにした。当たり前にできた国の属国として、向こうに合わせて、8つ目の海域ではなく、7つ目の海域の一部として、歪みを隠しながら生きたんだ」
「海域が、7つじゃなくて、8つ……?」

 さすがのリアでも海戦中であったために、海域についての最低限の知識は得ていた。リリーからも、テトからも再三、危ないからと目覚めてすぐの頃から教え込まれていたのだ。二人だってどれほど思い返しても8つ目の海域の存在というのを隠しているという素振りもなかったし、王宮の図書室の情報であっても、街であっても、誰も不自然なく7つの海域、と皆が口を揃えて言っていた。

 驚くリアにパナトリアは信じてほしい、とでも言うように、強くリアの手を握り直し、リアの目を覗き込んで、声を少し強める。

「……信じられない話をしているのは、分かってるんだ。あの歪みができたあの日を境に、周りの環境が一日で一変した。歪みの真横にいた我が国の者以外は、心身まで影響を受けていた。当たり前にその国があったことを洗脳なんてレベルではないくらいに受け入れ、人魚だったものが、半魚人になっていたり、海中人になっていたり、見た目さえ変わっている者もいた。……だから、ずっと打ち明けずにわが国で……歪みの発生場所を隠し、守り続けてきたんだ。……でも今回のレムリアとの戦に私たちは白旗をあげざるを得ず……隠したままに、国を離れた。……生き延びるために」

 パナトリアの頬には静かな泡の涙が伝っていて、このレムリアで何も知らずに過ごし生きていた自分に、胸が押しつぶされそうになった。
 決して、それらのことに対し軽々しく言葉にしてはいけなくて、許されることでも、許しを乞うことでもないことを、痛感する。

「……信じる。あなたの言葉を信じる。出会ったときからずっと、あなたは真のエネルギーで、追及する人。全てのものの良い面と悪い面の両方をみて、それを真っすぐに受け入れて進む人。今の私ではきっと、話してくれたことの全てを、記憶的にも知識的にも理解ができないと思う。だけど、話してくれたことを絶対に信じる」

 パナトリアの頬の涙は伝ったままだったけれど、その涙が少し変わったのが、リアの心に直接、感情としてそのままに感じられるような気がした。

「私も……信じて生き続けてよかった。君なら絶対に話してもいいと思ったんだ。……だから君が心のままに、記憶がなくても、知識がなくても、この人になら打ち明けてもいいと思ったときに、この8つ目の海域のことを話してほしい」

 それを聞いて、ぎゅっとあの廊下で廻った何かが繋いだ先々にいる人々のエネルギーが思い起こされた。

「本当に信頼できる人にしか話さないし、パナトリアが安心して守り人とやらに戻れるように、信頼できる人に話せるときがきたその時、必ず伝えると約束するわ」

 失った記憶は戻るかは分からない。けれど、こうしてもう一度、出会える人がいるように、新たに信頼を作り上げることはできるのかもしれない。分からずとも進めば、感覚が戻るときがあり、それが何かに繋がるときがあるのかもしれない。

 まずはこの海から、出る――……。生きるために。

 

 

episode6①

 

 

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