オリジナル童話

その手に触れられなくても~prologue~

2022年1月1日

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こちら直接的な表現はありませんが、災害を連想させる描写があります。苦手な方はprologue自体をとばしてください!得意ではないけれど、気になるという方はχの印までとばして頂き、そこからお読みいただけますと幸いです。

 prologueをとばしたい方はこちらから episode0.5 

世界の子どもシリーズ―過去編― その手に触れられなくても prologue

 

 ここは特別な部屋。特別な空間。

 惹かれてやまないあの人の向こう側で、一枚の特別な白い扉だけが、私たちのことを見ている。

「「波が、くる」」

 その日初めて、二人の声が被さった。

 どうして、今日なのだろう。今日は私とあの人しかいないのに。

 

 王族だけが見られる、特別な羅針盤を二人で覗き込み、息を呑む。

「本当なら一週間後のはずだったのに……どうして……」
「分からない。でも、この羅針盤の……この光り方は確かだ」

 そう答える彼の真剣な眼差しをみて、いよいよ事態が深刻であることを悟る。だって、彼は絶対に嘘をつかないから。

「私、行かなくちゃ」
「どこへ?」

 そう問われて、精一杯に笑みを浮かべて、言う。

「まだ陸の人は避難場所が決まっていない人が多いわ。伝えなくっちゃ」

 そうしたら、彼がその真剣な眼差しのまま、私の腕を掴む。

「ダメだ。この光り方は確定事項。もう数刻の猶予も残されていない」
「……わかってる。だけど、皆のこと、見捨てられないよ」
「それは分かってる。だけど、お前に何かあれば……」

 その声を遮るかのように、また羅針盤が光る。その光はピンクがかっていて、羅針盤の青と合わさって、とても美しく輝くのに、伝えることは残酷だ。

「「波が早まった」」

 もう、一刻の猶予もない。私は行かなくてはならない。そして、この決断は私だけのものではない。彼は止めてくれるけれど、彼だって絶対に、皆のことを見捨てられるはずがないのを私は知っている。

 だから、私は走る。これは二人の意志だと、思うから。

「私、行かなくっちゃっ」

 そう言って、私が戻るべき方の入り口、長い階段へと続く方へと進もうとしたその時、彼が再び私の手を掴む。

「行くな。もう、間に合わない」
「……いいえ。まだ、間に合う。全員じゃなくても、一部の人だけでも」
「嫌だ。お前に何かあったら、俺は耐えられない。それに、きっと皆だって耐えられない」

 そう言ってくれるその言葉だけで、私は頑張れる。

「大丈夫。別に……」

 諦めた訳じゃない。そう言おうとして、また美しくも残酷に羅針盤が光る。

「「……波が、くる」」

 それも、一度目よりも、大きい。

「「二回も」」

 もう、彼に言葉を残すことさえ出来ないくらいに、時間が迫っていた。私は彼が羅針盤を食い入るように見つめているその隙に、彼が掴むその愛しい手を自分の心とは裏腹に振り払って、長い階段へと続く入口の方へと駆ける。

「行くな! もう間に合わない!」
「一度目よりも、二度目の方が大きい。せめて、一度目を逃れた人たちだけでも、一人でも多く助けなくっちゃ」

 だけど、やっぱり少し心残りで、私はもう一度彼の元へと駆け寄って、言う。

「私、あなたの元にしか、行かないって決めてるから」

 初めて、自分から彼へと触れるだけのキスを落とす。

 諦めていない。二度目の波よりも前に、ちゃんと戻る。だけど、戻れる保証が、ない。

 

 

 羅針盤が美しくも残酷に光るその直前に、私は彼に自分の想いを伝えたところだった。

 私は黒髪になることを選んだ。私は少しだけ、馬鹿だから、だから、その無意識に黒髪を選んでしまったその意味が分からなかったの。あなたと二人きりで話すこの瞬間まで。

 ずっとずっと心は決まっていたのに、それを言葉に上手くする術を私は知らなかったの。ごめんね、伝えるのが遅くなってしまって。

 私はあなたを愛している。そして、あなたと生きていきたい。

 どこで生きるかなんて、まるで考えていなかった。本能的に、私は黒を選んだ。それはただ、あなたと同じその髪色になれば、あなたと一緒に生きていけると、単純な私はそう思ったからなの。

 それで、やっと気づく。例え誰に反対されても、どれだけ離れていても、私の心は私のものだと。そんな私の心はあなたのものだと。

 せめて、髪色だけでもあなたと同じ色がよかったの。

 驚くあなたを残して、私はこの特別な部屋、特別な空間から飛び出す。

「姫、お戻りください。もう間に合いません」
「でも、私、行かなくっちゃ!」

 彼があの部屋から出られないことを知っているから、私は笑顔で言う。
 これは私の独断。彼は決して悪くない。
 それで、これは私の核心。

 彼も私も、知ってしまった以上、伝えに行かなければ、きっとこれ以上は生きられないの。
 だから、私が一人で動くけれど、これは二人の意志なの。

 護衛の騎士を振り払って、笑顔で階段を駆け下りる。

 ごめんね。何か後で咎められたら、私のお転婆で通してね。
 それでね、この笑顔は決して嘘じゃないから、それだけは覚えていてね。

 私、波が怖い以上に、あの人のことをどれだけ好きか、最期のトキになって、ようやく思い知ったの。

 これが恋で、これが恋以上の、愛なのだと。

 階段を降りきった所で、ずっとお転婆な私の面倒を見てくれていた付き人が、驚いて問う。

「姫!? 何処へ行かれるんですか!?」
「もう間もなく、波がくる! 皆で逃げて!!」
「姫は!?」
「伝えられるだけ、伝えに行く」
「い、いけません……! そんな……」

 止めようとしてくれる大好きな付き人に微笑むと、声色を変えて、言う。

「姫としての命だ。直ちに逃げよ。私に構うな」
「姫!」

 ごめんね、命令使っちゃった。

 駆けながら、遠くなる付き人に、振り返ってさらに言う。

「諦めた訳ではない。二度、波が来る。二度目の方が大きい! よろしく頼む!」

 ずっとずっと、子どもの頃から私についてくれていた。だから、それ以上は問わずに、涙を零しながら、私を信じて、頷いてくれた。

 とても、安心した。彼女が動いてくれれば、自国の者は宙に無事に逃げるだろう。

 だから、笑顔で告げる。

「ありがとう!」

 ……みんなに、よろしくね。この言葉は胸の奥にしまって。だって、諦めた訳じゃあ、ないから。

 それで、そのまま中立市場の方へと駆けていく。

「波がくる! みんなすぐに逃げて!!」

 けれど、誰も信じてはくれない。大人は。

「何を言っておられるのですか? 波は一週間以上先。いくら姫といえど……」
「嘘じゃないわ! 波が早まった! お願いだから、今すぐ逃げて!!」

 ある者は鼻を鳴らして、私のことを見下す。所詮、姫の戯言だと。
 ある者は神妙な顔立ちで、静かに頷いて、駆けていく。

 ああ、私にもっと信頼があれば。

「すぐに波がくる! 今すぐ高い所に逃げて!!」

 何度も伝えるけれど、皆、そっぽ向いて買い物を続ける。

「これだから大国の姫は。避難場所の決まっていない者の不安を煽るようなことを」

 お願いだから信じて。

 ああ、私が、もっともっと、信頼にたる姫ならば。もっともっと、大人だったなら。

 

 無力な自分に嘆く暇もなく、一度目の波がやってくるのが、遠くから感じられた。

「すぐに高台へ逃げよ!!!」

 ありったけの声を上げて、一番、高い場所へと、全速力で駆けていく。
 街で親しくしていた者だけが、私の後へと続く。

 ごめん。ごめんね、無力で。

 波が市場を覆うけれども、まだそれは緩やかで、羅針盤と自分に囁きかける星の声を信じるならば、一度目の波では、ほとんどの者が助かったはず。

 だから、諦めずに、もう一度告げる。

「二度目の波がくる!! 二度目の方が大きい!! 諦めずに逃げよ!!!!」

 なるべく、神殿側の方へと、皆を誘導する。

「そっちはダメ。柱は倒壊しやすいから避けて。まずは崖の方へと駆けて! 急いで!!!」

 一番倒壊する恐れの高い神殿の通路で、一人でも多くのものに伝える。

 そうしたら、よく知った声が響いてくる。

「お姉ちゃん!!」

 ぬいぐるみを抱えた幼い男の子が、泣きながら自分にすがる。

「お兄ちゃんとはぐれて、それで、僕……」

 屈んで、笑顔で言う。

「大丈夫。お兄ちゃんには私から伝えておくから、だから、先に逃げて?」
「うっ、うっつ、でも、僕……」

 その子の頭を撫でて、なるべく優しく、言う。

「ねぇ、皆でした避難訓練、覚えてる?」

 躊躇いがちに頷くその子を、今度はぎゅっと抱きしめて、再確認するように、言う。

「大縄跳びを思い出して。波にのまれても、諦めないこと。縄を飛ぶように、上に逃げるのよ。それで、靴を捨ててはいけないわ。波から逃れたら、なるべく遠くの崖へと走らないとダメだからね。それから、もうひとつの約束は……」
「……信じて、待ち合わせ場所へと走ること」
「そうよ」

 私は残酷で、そして一番の希望である約束を、あえて言葉にして言う。

「みんな逃げ切ると信じて、待ち合わせ場所にいくこと。だから、お兄ちゃんもきっと、先に待ち合わせ場所に行ってるはず」

 そんな保証は、ないけれど。誰だって、大切な人の姿を探してしまうけれど。
 でも、各々が信じて、まずは逃げることが、もう一度大切な人と出会う、かけがえのないチャンスなの。

「……だから、逃げて。なるべく、遠く。できれば、高い所へ」

 二度目の波の方が大きいから。その言葉はぐっと自分の中だけに、押し込める。子どもに言うべきことじゃない。

「……でも」

 躊躇うその子の、お気に入りのクマの人形をそっと、その子の手から取って、笑顔で、言う。

「お兄ちゃんを見つけたら、クマちゃんを預けて、先に約束の場所へ行ったと、伝えるわ。私との約束。これで、安心して行ける?」
「うん」

 ぎゅっとその子が私に抱き着く。ああ、ずっと、この子を抱きしめて、私が避難場所まで連れていけたらどれだけいいのだろうか。

 それでも、私は、一番私を慕ってくれていた子に、告げる。一人で、逃げよと。

「さあ、行って!」
「……うん!」

 そして、そのクマを片手に、一人でも多くの者に伝える。

「二度目がくる! 早く高い所に逃げて!!」

 倒壊の可能性の高い柱の部分を避けるように、そして、なるべく山へと続く崖の方へと逃げるように。力の限り、叫び続ける。

 そして、宙へと浮かぶ自国の船を遠くの方で見て、ふっと笑みを漏らす。

 みんな、ごめんね。

 そして、思う。ああ、もっと早くに分かっていたら、一時的にでも、皆を空へと逃がすことができたかもしれないのに。

 子どもな自分が、不甲斐なくて、だけど、もうどうにもならなくて、なるべく笑顔で、過ごそうと誓う。私が笑顔でいることで、少しでも助かる希望があると、みんなに信じてもらうために。

「姫!? ……なぜここに?」

 そうしたら、本当に、あの子のお兄ちゃんと巡り会えた。

「よかった。あの子はもう逃げてる。二度目の波が来る。すぐに逃げて」

 そう言いながら、急ぎ預かったクマのぬいぐるみを託す。

「でも、君は?」

 そう問われて、星の声を聞く。あと数分は、大丈夫だと、そう言っているような、そんな気がした。

「私もすぐに避難するわ。あと、少しだけ」
「でも……!」

 躊躇うその背を押して、私は言う。

「大丈夫だから。行って! あの子を一人にしないで! 信じて走ったのだから!!」
「くそっ。君も逃げろっ! 約束だ!!」

 その声に笑顔で頷いて、私はまた声をあげる。また一人、大切な友を見送ることができた。そのことに勇気づけられて、無力だけれども、それでも誰かに伝わるかもしれない、この声をあげ続ける。

「二度目がくる! 二度目の方が大きい! 早く逃げて!」

 それで、気づく。またひとり、大切な友が、海から子どもを引き上げていることに。

「どうして!? 陸の方へ行ったんじゃなかったの?」
「あなたこそ、どうして?! 私のことはいいから、早く逃げなさい」

 陸の方へとお嫁へ行くのが決まっていたはずなのに、私の大好きな友が、陸ヘは逃げずに、海を泳いで、子どもたちを助けている。

「……波が早まった。二度目の方が大きい。だから、もう逃げて……! これ以上、海にいたら……」
「……私はいいの。だから、あなたは早く逃げなさい」

 お互いにお互いのことを想って言うけれど、不安そうにしているこの子たちを誰が見捨てられるというの?

 私たちは、お互いの思うことが、ちゃんと分かる。だから、約束する。

「……二度目は何分後?」
「……分からない。十分あるかどうか」

 そして、私の美しき友が言う。

「私は海側を」

 だから、私も言う。

「私は陸側を」

 視線を交わして頷き、言う。

「「二度目の波が来るまでに」」

 私たちも、愛しい人たちの所へ、戻らなくっちゃ。

 そのまま海の方を任せて、やはり一番倒壊の危険の高い箇所を拠点に、声を上げ続ける。

「崖の方へ! あっちから行って! ここは間もなく崩壊する!!」

 力のある限り、星の声を聞く。体力のある限り、叫び続ける。時間のある限り、誘導をする。

 そうしたら、星の声が届くよりも先に、亀裂が入り、バランスを崩した建物が倒壊して、私の元に柱が何本も倒れ掛かる。

 ああ、これで終わりかな。何人、救えたのかな。無力な自分に。

 そう思って目を瞑った瞬間に、愛しい人の声が響く。

「馬鹿だな」

 私の愛しい人が、柱をその強い炎で弾き飛ばす。

「俺がお前を見捨てるとでも思ったのか?」
「っつ……」

 あなたはあそこから出てはいけない筈なのに……!

 愛しい人が柱から自分を守ってくれたおかげで、私は一命を取り留めた。

「くそっ」

 けれど、次々に柱が倒れて来て、もう追い付かない。

「ダメ。あそこに子どもがいる!」

 それでも彼が凄まじい力で柱を弾き飛ばして守ってくれていたのに、二本の柱が同時に倒れ掛かる。

 一本は私の方に、一本は子どもの方に。

 彼はきっと選べない。だから、私が彼を弾き飛ばす。

「ごめんね」
「くそっ!」

 そのまま柱が倒れて来て、強く頭を打つ。その衝撃と共に、身体が海の方へと弾き飛ばされる。

「カイネ!!!」

 ああ、愛しい人が私の名前を呼ぶ。

「このまま崖の方へと進め! 行け!!」

 そして、やっぱり私の愛しい人は無事に子どもを守って、ちゃんと助けてくれた。

 さらなる柱が倒れて来て、私は完全に身動きが取れなくなる。

「くそっ!」

 彼が叫びながら、柱を弾き飛ばすけれど、もう間に合わないのを私は知っている。

「ネロ、もういいの。あと三分もせずに二度目の波がくる。あなたなら知っているでしょう?」

 微笑んでそう言うと、彼は続けて言う。

「嫌だ。それでも、お前と離れたりはしない」

 だから、そのまま遠のきそうな意識の中で、言う。

「ごめんね。柱に足が挟まっちゃった。これを動かすのは三分では間に合わない。だから、ここでお別れ。これで最期」

 そうしたら、彼の瞳が揺れ動いて、何かが私の足に触れる。

「嫌! 私、もうここで終わりたいの」

 そう告げるけれど、私の愛しい人がそっと私の頬に触れて、言う。

「必ず、迎えに行くから」

 そして、私にそっと口づけをする。とても、とても、愛の籠った。きっと、これから先何があろうと、どれほどの時間が過ぎようと、決して忘れることの出来ないような、熱と想いの籠った口づけを。

 彼から離れたくないのに、全部を記憶に刻みたいのに、意識が遠のいていく。

 そんな切なさと苦しさの中で、私は美しき光景を見る。

 色鮮やかな羽をバタつかせて、鳥族の人たちが、最後に私の愛しい人や、逃げ遅れた子どもたちを空へと連れて行ってくれる。

 ああ、私たちの想いが、伝わる人たちもいたんだ。
 ありがとう。私の大切な人たちを、危険を顧みず、守ってくれて――……。

 空へと向く視線とは反対に、誰かが、私の足を引っ張る。

 ああ、お願い。足を引っ張らないで。

『最期のトキは、せめて彼と過ごしたこの場所がいいの――……』

 けれど、海中へと引き込まれて、私の叫び声は、声にもならずに海と自分の心の中に閉ざされていく。

 

 あなたを心から愛している。

 

 だから、最期のトキはあなたと一緒がよかったの――……。
 例え、私だけが終わるのだとしても。

 私はこの狂おしいほどの愛を、最期のトキに気づき、最期のトキなのに上手に伝えることができなかった。

 ごめんね、愛してる。ごめんね……。

 

χχχχχ

 

「――な……で、この子が――……」
「しか――……ろ。は……らが……――」

 どこか遠くの方で、声が、聞こえる。

「この……――人……に――」
「ふざ……――な。……そん……ゆ……ない――」
「それ――……と……うの――……!? この……じゃ……」
「わか……――。だ……ら……アト……――で……!」
「わか……――の!? ……この――は……」
「じゃあ――……と……言う――……だ!?」

 この声は知っている。二人とも、私がとてもよく知っている声――……。

「――……が、この子――……を……――」
「そん――……れば――……」
「いい――……だ。――……をすく……――理由は……い」
「い……わ。――し……が――ろの……――をかけ……る」

 知っている声だから、ちゃんと聞こうと思うのに、先ほど打った頭が痛くて、上手く聞きとれない。

 そう思っていると、たちまち身体が物凄く熱くなって、足が痛くなって、そして、呻く。

「……いや――、いや……――」

 

 彼と一緒のままがいい。

 

 

 

 あれ? 彼って誰だっけ――……?

 

 

 

「……ア。――……ア」

 

 また、誰かが私のことを呼ぶ。

 

 え? これって、私のことだっけ――……?

 

 ズキリと痛む頭を抑えながら、私はゆっくりと起き上がる。

 目の前には、オレンジがかった美しいピンクの髪の女性がいた。その髪はクルクルと細かい円を描くようにうねっていて、まるで波みたい。それで、とっても優しい色で、安心する。

 その美しい鎖骨の下は白い肌よりもさらに白い布で胸元だけを覆っていて、それで、その下に鮮やかな水色やエメラルドグリーンの混ざった鱗が続いている。

「……――だあれ?」

 まだ重たい瞼を擦りながら、その美しい人魚を見る。そうしたら、私のことをぎゅっと抱きしめて、涙をぽろぽろと零しながら、言う。

「……よかった……目が覚めて――……」

 とても優しい抱擁で、本能的に感じる。この人は信じていい人。それで、じっと、この美しい人魚を見つめる。

「……私はカ……」

 何かを言おうとして、その人がぐっと眉を寄せ、数秒考えた後に、再び口を開く。

「――……レムよ。私はレム。あなたの従妹で、マナーの教育係だったでしょう?」

 そう言われて、ああ、そうだった、と強く感じた。何で、一瞬でも分からないと思ってしまったのだろう。

「レム姉さん!」

 私の従妹で、それで、私のマナーの先生で、それで、私の大好きな友達。そう、大好きなの。レム姉さんが、大好きなの。

 ニコリと微笑むと、レム姉さんが、またぐっと眉を寄せながら、言う。

「――……リア。あなたはリア。ねぇ、気分はどう?」

 そう言われて、首を傾げる。

 

 あれ? 私って、こんな名前だったかな?

 

 けれど、レム姉さんは微笑んでいて、レム姉さんが言うのだから、きっと間違いないと、そう思う。

 今日の私はなんだか変。

「……リア。う、ん――……私は、リア――……」

 

 あれ? なんで自分の名前に悩むのだろう。再び首を傾ける。

 

 そうしたら、また、レム姉さんがギュッと抱きしめてくれる。

「あなたはちょっと、頭を打ったところだから、心配してたの。でもよかったわ、大丈夫そうで。あなたはリア。私はレム。頭を打ってすぐだったから、ちょっと混乱したのね」

 レム姉さんが、抱擁を解いて、またいつもの優しい笑顔でそう言うものだから、私は慌てる。

「だ、大好きなレム姉さんのことを忘れたりなんてしないわ!」

 そしたら、レム姉さんがクスクスと笑ってくれて、だけど、その姿に少し違和感を覚える。

 あれ? レム姉さんって、髪色がピンクだったかな。

 それで、じっとレム姉さんを観察したら、やっぱり足がなくて、腰から下に美しい水色とエメラルドグリーンの鱗が続いている。魚のように、尾ひれがついて。

「人魚……?」

 思わず声が漏れると、またレム姉さんが少し眉を下げながら、困ったような声色で、言う。

「そうよ。私たち、人魚じゃない」

 その言葉に、私は無意識に自分の足に目が行く。

 そこにはレム姉さんと同じように、水色とエメラルドグリーンの鱗と尾ひれがついていた。

 

 人魚――……!? あれ、私、人魚だったっけ――?!

 

 もう一度、レム姉さんに確認しようとしたけれど、見上げたレム姉さんが、苦し気に目を瞑り、顔を自分から逸らしているのが見て取れて、何となく感じる。

 これ以上、聞いてはいけないのだと。

 それで、思い直す。レム姉さんの言うことに間違いはないのだから、頭を打って混乱している状態で、レム姉さんを困らせることを言ってはいけないと。

 だから、私は慌てて笑顔で言う。

「私はリア。レム姉さんの従妹で、海の中の人魚――……」

 誰か大切な人を忘れてしまっているような、そんな切ない苦しみだけを残して、レム姉さんに抱き着きつく。

 

 ああ、あの人のことを忘れたくない。

 あれ? あの人って誰?

 
 ここはどこだっけ――……?
 私は誰だっけ――……?

 

 

 ここは海の底。

 

 人魚の住む街――……。

 

 それで、私は多分、リア。

 

 

こちらの避難の様子や災害の様子は小説上の表現になります。日本は災害の多い国ですので、どうか、お住まいの地域のハザードマップをご確認の上、専門家の方の意見を参考に防災を行ってください。

 

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