かぼちゃを動かして!⑦
エプリアは前方の洞窟をじっと見つめたままで、あまりにも真剣なその様子に声を出していいのか分からずに、フィフィはコクコクと無言で頷いて返事をした。
すると、フィフィの肩越しに振動が伝わったのだろう。僅かにエプリアがこちらを向いて、獲物を狩るそれではなく、ここに辿り着くまでに見せてくれていた、穏やかな微笑みをみせてくれる。
すぐに視線を洞窟の方へと戻してしまったので、目が合ったのは一瞬だけ。それなのに、あの海のように深い青の瞳は、とてもフィフィを安心させた。
『フィフィ、俺は君を信頼してる』
その瞳をみると共に先ほどのエプリアの言葉が思い返され、じわりと、けれども確かに、フィフィの胸の奥底に何かが宿ったような感覚になる。
エプリアの役に、立ちたい。
フィフィにもちゃんと、出来ることがある。
ゆっくりと瞬きをして、フィフィも前方の洞窟の方を、じっと見つめてみる。肩から伝わるエプリアの温もりが、この胸の奥底に宿った何かが、きっと大丈夫、そう思わせてくれるから。
すると、すぐ横でカシャリと金属が合わさる音が響く。
気が付けば、フィフィの肩に添えている手とは反対の方の手で、エプリアがシャツの中にしまっていた、ネックレスを握りしめていた。
紫がかったその不思議なペンダントは、所々が青にも金色にも見えて、角度によってはフィフィの瞳と同じような、赤も混じっているかのよう。
あまりにも綺麗で、思わず近くでみたいと一歩前のめりになりそうになったけれど、絶対にエプリアの邪魔はしたくない。フィフィもフィフィのできることをする。そんな芽生えたばかりの、けれども、強い意志が、フィフィの意識をちゃんと目の前の洞窟へと戻す。
まだ日の光は高く、エプリアとフィフィがいる位置は明るいのに、数メートル先の洞窟の方は暗くて全く中の様子がこちらからは分からなかった。
エプリアと一緒だと大丈夫、そう思うと不思議と恐怖心は薄れて、足が震える、なんてことはないというのに、どうしても緊張はしてしまう。ゴクリと唾を飲んだところで、フィフィの肩に添えられていた手が動き、二度ほど、フィフィの肩をそっと叩いた。
フィフィよりも先に走り出したエプリアは迷いがなくとても速かった。脇目もくれずに一直線に洞窟へと駆けていくのである。
「つっ……!」
小さく息をのみ、フィフィも全力でエプリアの後をついていく。
けれどもエプリアは一瞬で洞窟の中へと消えてしまって、フィフィも必死にその後ろ姿を見つめながら続いたけれど、到底、すぐに追いつけるスピードではなかった。
エプリアが洞窟の中へと入ってから何秒遅れだろうか。ようやく、フィフィも真っ暗な洞窟の真ん前へと辿り着く。もうエプリアの姿はみえないし、中がどうなっているのかも、これほどに近づいても、よく見えなかった。エプリアと一緒ならば大丈夫と思っていたのに、中にエプリアがいると分かっていても、いざ、中に一人で入らなければならない状況になると、思わず走るスピードが緩みそうに……なる。
この洞窟の中に、八色蜘蛛が、いる。
「ひっ」
『俺を信じて』
けれども走るスピードが緩むよりも前に、泣き出すよりも前に、エプリアのあの穏やかな笑顔と優しい瞳が、脳裏に過ったのだ。
短時間でも信頼が生まれる。
きっと、フィフィにとっても、兄弟子のエプリアは信じていい人なのだ。たとえ出会ったばかりであったとしても。
フィフィは勢いよく、洞窟の中へと、飛び込む。
八色蜘蛛の涙が、ほしい。
エプリアの役に、立ちたい。
ディグダと契約が、したい。
ミス・マリアンヌがくれた魔女帽子、被りたい。
フィフィ、魔女に、なりたい。
大きく足を広げて、踏み込んだ一歩。まずは右足が地面について、その感触から先ほどまでの柔らかい草の地面や、土の道ではないことがすぐさま感じられた。視界はやはり、洞窟の中へ入りこんでも真っ暗なまま。むしろ、目が慣れてくるなんて次元ではないくらいに、何も見えない。そうして、気付く。
エプリアを信じたのは、いい。
今ももちろん、信じている。
けれども、洞窟に入ってからどうしたらよいのかを、確認していなかった。パクパクと口を動かし、何とか声をもらさないように、心を保つ。
二歩目、左足を地面へとつけると、靴ごしでもわかるひんやりとした、岩のような感触が足の裏に伝わってくる。その感触と依然暗いままの視界が、フィフィは今、まさに洞窟の中にいる、というのを実感させた。それでもぐっと息を飲み、再び右足を浮かす。けれども、行先が分からないからこそ、どの方向へと進み、どこに足をやればいいのかが、分からない。
洞窟に入るとは、どこまで歩くことを、言うのだろうか。
どうすることもできず、右足を勢いのまま、一歩前へと地面につけたところで、フィフィの顔面に固いのに柔らかい何かがぶつかったのである。
「ひっ」
小さくもれ出た声は、思ったよりも響かず、吸い込まれるようにどこかへ消えていった。そして急に立ち止まる準備もしていなかったので、前に進もうとする勢いをどうにもできず、ジタバタと腕を動かしてバランスを保とうとするも、分散させきれなかった勢いに負け、とうとう後ろへと倒れそうになる。
どうしよう、転んだら、八色蜘蛛にバレちゃうかも。
しりもちを覚悟してぎゅっと目を瞑るも、後ろへと倒れかけた身体はグイッと引っ張られて、再び固いのに柔らかい何かに顔がぶつかる。ぱちぱちと目を瞬かせるも、何も見えないままで、けれど小さくトクトクと動く心臓の音が響いてくるのだ。その一定の間隔で動く音がフィフィを不思議と安心させて、暗闇の中でも、八色蜘蛛が近くにいても大丈夫だと、そう思わせてくれる。
「フィフィ、ごめん。お待たせ」
そしてわざとボリュームを抑えたような小さな、けれどフィフィが一番に求めていた声が頭上から響き、程なくしてフィフィとエプリアの視界にやや暗めの灯りが点された。じっとエプリアの方を見上げると、ニコリと微笑んでくれて。右手でランプを持ち、左手を再びフィフィの肩に添えてくれた。
「大丈夫。フィフィいい? 絶対に襲ってきたりしないから、八色蜘蛛の姿をみても、大きな声を出したり、攻撃したらダメだよ?」
きっと、ランプの光の先をみれば、八色蜘蛛がいる。
そう思うとぎゅっと喉が狭まって、上手く声が出せなくなった。
けれど、肩に添えられたエプリアの手がまた動き、二度ほど、フィフィの肩を叩く。声を出さないかわりに、肩から伝わる振動で、自分がいるから大丈夫だ、とでも言ってくれているかのように。
そうしたら、まるでそれが魔法の引き金となるかのように、エプリアが与えてくれる安心感と、ミス・マリアンの優しさと、ディグダとの約束がフィフィの心の奥底で疼いて、勇気へと変わっていくのだ。
「うん。大丈夫」
ちゃんと震えることなく、言葉を声にだして、フィフィはエプリアの青い海のような瞳を、真っ赤な炎のような瞳で見つめ返した。
エプリアが目を見開いて、その瞳を揺らす。けれども、今度は優しく微笑むのではなく、洞窟に入る直前にみせたような男の子そのものの笑い方、ニッと口角をあげて、楽しそうであるのに、緊張をもはらんでいるような笑顔をみせてくれた。
「うん。魔女としても信頼できる」
そう言うや否や、エプリアがランプをさらに右奥へと傾けて、首ごと視線をそちらに向けていくのだ。それに倣い、ゴクリと唾をのみ、フィフィもそのランプの光とエプリアの動きを追うように、視線を少しずつ、ズラしていく。
「…………」
決して、声は出さなかった。
その方向には真っ黒な大きな物体が影のようにあり、形こそ分からないものの、巨大な黒い影が生き物であることはすぐに分かった。
ギョロリと大きな目玉の黄金色の瞳孔が、左右に動いていたから。