かぼちゃを動かして!⓪
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街から森の見える方向へと進むこと、小一時間。いよいよ完全なる森へと入るかどうかの頃合い、一軒の大きな屋敷がみえる。
その屋敷は白を基調としていて、黒紫の屋根が印象的だ。何が不思議って、遠くからみればその黒紫の屋根は森の景観へと馴染み、まるでそこに屋敷があるなんて見当もつかないくらい。それなのに近づくと、ぐっと白にその黒紫が映えて、屋敷の圧倒的存在感が、容易に他者を近づかせない。
屋敷が放つ存在感の所以は、左右均衡に建てられた、その境目。中央部に取り付けられた巨大な時計によるものだろう。まるで時計台のように、しっかりと高さまであるこの屋敷はきっと、時計の取り付けられた箇所を含めば3階建てくらいだろう。
けれど、その中へと足を踏み入れたものは誰一人としていないから、奥行きは想像さえつかない。ただ外から見た横幅でいうなら、街の店2~3軒分くらいはあり、さらにその森側には白く塗られていないシンプルな木そのものの、古い納屋までついているのだ。
きっと、裕福な紳士淑女が住んでいるに違いない。屋敷だけをみれば、誰もがそう思うだろう。
けれど、屋敷の扉と正門の間にある庭に出てくるのは、小柄な少女。納屋とその裏口についている井戸とを何往復もしたり、庭にある小さな畑で植物を育てたり。
よくその庭から続く森への道を通っては、走って帰ってきたり、時折、ひとりで箒を振り回していたり。
傍からいれば不可思議な行動をする少女に声をかける者はいない。
ひとたび人が近づけば、少女はすっ飛んで、屋敷の中へと駆け込むのだから。
けれど、周りの者もまた、少女が逃げることに異論もなければ、むしろ声をかける機会がないことに安心さえしていた。
その少女は屋敷と同じように、左右均衡のとれた美しい顔をしているのだけれど、その瞳を初めて見る者は必ずといっていいほど、固まってしまうから。
ある者は悪魔だと、ある者は魔女だと、その少女の真っ赤な瞳をみて、言うのである。
そして、その美しい顔に見慣れぬ真っ赤な瞳をもつ少女をよくよく観察すると、日の光が差し掛からぬ薄暗い場所へとどれほど隠れようとも、その髪もまた、いつまでも輝いていた。
この辺りで、白銀の髪を持つ者も、この少女の他にきっといない。
そんな少女にとても優しく声をかけるのは、ひとりの妖艶な女。
「さあフィフィ、休憩にしましょう★」
「ミス・マリアンヌ!」
「準備は順調?」
「うん! あのね、ひとつすっごく大きくなりそうなかぼちゃがあるの」
「……そう、ハロウィンが……楽しみね?」
けれど、ある者がいう魔女だという噂は、あながち嘘ではない。
「フィフィ、絶対に試験に合格して、ミス・マリアンヌみたいな魔女になるの!」
「ふふ★ そうね、魔女になってずっと一緒にいましょう?」
なぜならこの全身を黒紫でコーディネートしている、マリアンヌと呼ばれる妖艶な女は正真正銘の魔女で、不可思議な行動をする白銀の髪に真っ赤な瞳を持つ少女は、魔女見習いなのだから。
かぼちゃを動かして!
マリアンヌは納屋を片付けてくると走っていったフィフィの後ろ姿を見送り、納屋の扉が閉まるのを合図に、キッチンへと歩みを進める。
今日のティータイムのために焼いたのは、パウンドケーキ。
フィフィは何でも美味しいと食べるけれど、特にドレンチェリーのクッキーとパウンドケーキが大好きなのだ。
屋敷の中に漂う甘い香りに、マリアンヌは自然と笑みを漏らす。
この屋敷に再び、定期的にお菓子の甘い香りが漂い始めたのは、フィフィがやってきてから。
この屋敷に初めて、ステップに合わせて木の床の軋む音が響きだしたのは、フィフィがやってきてから。
この屋敷に今、笑い声が響き渡るのは、フィフィがこの屋敷にいるから。
マリアンヌがキッチンへの扉に手をかけると、そこから聞こえてくるのは、マリアンヌが呼んだ訳ではないけれど、自然と住み着いてしまった妖精たちの声。
「嘘だろ、ディグダ!?」
「そうよ、そんなの納得できないわ!」
「いいや、もう決めたんだ。俺は絶対に、契約しない」
盗み聞きをする気はなかったものの、聞こえてしまったものは仕方がない。マリアンヌは悪びれる様子もなく、いつもどおり、物音ひとつ立てずキッチンへと入りこむ。
けれど、別に音なんてたてずとも、盗み聞きなんてせずとも、マリアンヌにとっても妖精たちにとっても、それらの結果は全て一緒。
他のどれほど優秀な魔女たちであってもマリアンヌの日頃隠しきっている魔力にはなかなか気づけないだろうに、ここにいる妖精たちは、中でもディグダは、絶対に気づく。
そして、マリアンヌもまた、妖精らがどれだけマリアンヌに隠し事をしたくとも、この森に関わる自然を源としている限り、特にマリアンヌが管理している魔女の屋敷にいる限りは、目の前でみていなくとも、全てのことが魔力から読み取れてしまうのだから。
静かにティーセットを取り出し、湯を沸かしだす。
話し合いに夢中になり、気づくのがいつもより遅れたのだろう。マリアンヌが部屋の中まで入ってきていることをようやくに感じとった妖精たちは、慌てて飛び散っていく。きっと扉の前にいたときから、ひとりだけ気づいていた妖精、ディグダだけを残して。
マリアンヌは振り返ることなく、背後に強い魔力と視線を感じながら、けれども特段気に留めることもなく、フィフィのために丁寧にパウンドケーキを切り分けていく。
そして、ディグダもまた、何も言葉にせず、強い魔力と視線だけでマリアンヌにその意志を示して飛び去って行った。
きっとじきに、フィフィの叫び声が響くことだろう。
マリアンヌはティータイムの準備の手をとめることなく、瞬きひとつで自身の部屋に置いていた5通の手紙を、目の前へと引き寄せる。
手紙がマリアンヌの部屋からキッチンへと辿り着くまで、ものの数秒。
自分で引き寄せたというのに、その手紙にさえ目もくれず、自分以外の誰もいないはずのキッチンで、明確に相手に向かって、マリアンヌは言う。
「これを今すぐにあの子に届けて頂戴」
「……すぐとはどれくらいです?」
「すぐと言えばすぐよ。ああ、でも、全部すぐに渡してはダメよ? 1時間おきに1通渡してね? だから、あら……結果、すぐじゃなくなるわね。手紙を渡しきるのに5時間もかかっちゃうじゃない」
「……御冗談を。あの子が今住まう場所まで行くのに何日かかると……」
「あら、すぐにつくでしょう? す、ぐ、に」
「…………」
何もない空間に、一枚の大きな黒い羽が落ちる。
それを見ていた訳ではないのに、マリアンヌは再び、瞬きひとつでその黒い羽を目の前に引き寄せる。
「あらやだ。わざと羽を落としていったわね? フィフィがみつけて怖がったらどうしてくれるのよ。全く、久しぶりにお仕置きが必要かしらね?」
もうじきマリアンヌの森を抜けるであろう上空を飛んでいる使い魔から、抗議するような魔力を感じとり、マリアンヌは小さく息をついて、またも瞬きひとつで、引き寄せた羽をその場から消してみせる。屋敷内の至るところにいる妖精の子らが「ひっ」と震えるような声を漏らしたのが少し気に入らないけれど、フィフィのご機嫌なステップ音が近づいてきたから、みんなラッキーね。全員、許してあげる。
さて、そろそろかしら。あと3秒。
2、1……。
「えーーーーー! なんでーーーーーー!?!?」
フィフィの叫び声と、ディグダのツンとした魔力を感じ取り、マリアンヌはキッチンの扉をあける。
「フィフィ、紅茶が入ったわよー?★」
真っ赤な目をパチクリとさせ、せわしなく、首をこっちに、あっちに向けて。ディグダの方をみながら、ぐぬぬと息を飲んだあと、フィフィが私の方を向きながら言うの。
「ミ、ミス・マリアンヌ! す、すぐ行きまーす!」
「ふふ★ 紅茶が冷めないうちに来てね?」
ディグダったら……。せっかくフィフィが一番飲みやすい温度で紅茶を淹れて、しっとりする抜群の頃合いまでパウンドケーキを置いてたのよ?
フィフィのために一番美味しくなるタイミングで用意したんだから。ティータイムがズレて少しでも温度の狂った紅茶とパウンドケーキをフィフィの口に運ぶことになったら、今日の夕飯抜きにするから。
他の妖精らの「ひっ」という声と共に、彼らが大急ぎでディグダを黙らせ、フィフィをなだめて二人をキッチンへと誘導する。
5、4、3、2、1……。
「ミス・マリアンヌ!」
「フィフィ、いらっしゃい★ 今日はあなたの好きなパウンドケーキよ★」
あら、よかった。計算通りの時間だわ。
今が一番、ケーキも紅茶も最高のタイミング。
フィフィが嬉しそうに、椅子にこしかける。
その笑顔をみつめながら、マリアンヌは強く、願う。
早くハロウィンが来て、ハロウィンが永遠に続けばいい。
かぼちゃを動かして!本編につづく
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かぼちゃを動かして!
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