オリジナル小説

星のカケラ~episode3~シホのカケラ

2021年10月3日

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シホのカケラ

 

 大学内のカフェテラスに腰掛け、芝生広場を行き交う自分と同じ学生たちをぼんやりと見やる。時折、姉妹幼稚園の子どもたちが走り回ったりして、賑やかな笑い声が耳に心地よい。
 手持無沙汰でアイスコーヒーを回すと、カランと氷のぶつかり合う音が響き渡り、グラスについていた水滴が机へと滴り落ちる。

「緑……」

 回していた手を止めた瞬間に視界に入ってくる、ストローの色。何気なく吸っていたけれど、しっかりと視線を向けると、それはほんの少し濃い緑色で。しほはふっと笑みを漏らす。

 自分にとって、新しく好きになった色。

 当たり前のように使ってしまうストローも、このように注目すれば自分の好きな色だったりして、それがまた些細なことであったとしても、日常の中の特別な瞬間に加わるのだ。

 毎日、たくさんのことを選んで、生きている。
 そんな中で、しほは今、大きな決断を下そうとしていた。

 そっと、グラスの横に並べてあるパンフレットに視線を移す。置いていた位置が良かったのだろう。ギリギリ水滴はパンフレットにはついていない。

 もし、これが濡れてしまっていたらこのパンフレットは捨ててしまって、自分の選択肢から消してしまっていたかもしれない。
 けれど、未だしほの目の前にあるということは、きっとまだ考えるべきことであるということ。

 答えがでないからこそ、そんな風に自分に言い聞かせてペラペラとパンフレットをめくる。

「ここの園は、素敵だな。園庭が広い」

 そんな独り言を繰り返しながら、数種類みた後に、そっとそれらを閉じる。

「どうしようかな」

 ふうっとため息をつき、パンフレットを誰も座っていない向かい側へと押しやる。

 それらを押しやることで出来た、目の前のスペース。アイスコーヒーの横に、テーブルの木目だけが広がる空間ができる。そんなに広くはないけれど、新しい何かを置くには十分なくらい空いていて。数秒、テーブルとにらみ合った後に、キョロキョロと辺りを見渡して、誰も近くにいないことを確認すると、しほはグレーのトートバッグに手を伸ばした。

「……もうそろそろ決めないとな」

 そう言いながら、取り出したのは先ほどとは全く違うパンフレット。

「やっぱり、高いよね」

 先ほどまでは白地に庭とか、元気な子どもたちがカラフルな服を着て走り回る写真とかが載っていた。一方、今ペラペラとめくっているものは、ピンクや鮮やかな色味に、お菓子の写真と白い清潔感のある服を着た人たちが笑っている写真が掲載されている。それらの片隅に、ゼロがたくさん連なった、学費を掲げて。

 ガタリと背を椅子に預け、天井を見上げる。

 自分は、何になりたい? 何が好き? 何が嫌い?
 何度も何度も、問いかける。

 もうすぐ、就職活動が始まる。しほは教育学部の保育学科で。卒業と共に保育士免許を取得することが決まっている。

 子どもと遊ぶのは大好きで、そのつもりでこの大学へと入学したし、実習も行った。それなりに勉強もしたし、単位もバッチリ。このまま行けば必ず、卒業できるだろう。

 さらに有難いことに、実習や見学へと赴いた園からは好意的な就職の面接案内を頂戴している。

 それと同時に胸に引っかかるのは、あの星のカケラ。
 お菓子を作るのは楽しい。
 あの星宙パティスリーで働いていくうちに、それを仕事にする、ということが脳裏をよぎり始めたのだ。

「こんなの、馬鹿げてるよね」

 そう呟いて、ガバリと身体を起こす。

 子どもの頃から、お菓子は好きだった。だけど、食べることばかりで、作るというのは考えたことがなかった。だから、高校生当時。その時の自分なりに一番好きな子どもと遊ぶことができる保育関係の仕事を目指せる大学を受験したのだ。

 そういう意味でも、お菓子を自分で作る、自分がパティシエになるということは全くもって想像も、検討も付かなくて。
 手先も不器用な自分では無理と決めつけて、人生の選択肢にさえ入れていなかったのだ。

 だけど……。

「今日は、何を作ろうかな」

 こんなにも、作ることが大好きになってしまっているのだ。

 バイトを始めて、さらにケーキが好きになった。お菓子が好きになった。だけど、涙を零しながら初めて作ったあの琥珀唐は、特別に不味くて、格別に美味しかった。

 店長が作ったものは全て美味しく感じるのに、何故か自分で作ったあの緑色の琥珀唐は本当に不味くて。
 だけど、あの緑色が絶対に自分の新しい色だと、そう思ってしまうくらいに、好きな色に加わるくらいに、自分にとって美味しかったのだ。

 心を動かす。そういう瞬間を、食べるということで、しほは体感したのだ。

 もう一度、視線をテーブルへと戻し、慌てて製菓学校のパンフレットの上に保育園のパンフレットを重ねる。

 小さくため息をつき、またアイスコーヒーに手を伸ばす。

 すっかりと氷の溶けてしまったコーヒーは、味が薄くなってしまっていた。お気に入りの色のストローでかき混ぜてみたけれど、水にほんのりと苦みが含まれる程度だった。

 コーヒーを吸いきって、思う。ここまで薄いと、ケーキには合わないかも、なんて。

「あんまり予算もないし、しばらくは焼き菓子かな」

 パンフレットを片しながら、そう呟いて席を立つ。
 また決断を先送りにしてしまった。

 コツコツと貯め始めた、製菓学校へと通うための学費。まだ少し足りない。
 いそいそと探し始めた、就職先の保育園。まだ、面接の申し込み期限まで日数がある。

 大学を卒業してから、もう一度専門学校なんて、馬鹿げている。そう思う自分もいるのに、このパンフレットが捨てられない。

 こんなにもお菓子を作ることが好きで頭から離れないのに、耳に残る子どもたちの笑い声が、心地いい。

「みんな、何になるのかな。どこに進んでいくのかな」

 芝生広場を行き交う同じような生徒たちの中には、もう既に進路を決めている者や就活を開始しているものもいるだろう。
 子どもたちの無邪気に走り回る姿が、無限の未来を感じさせて、しほの胸をくすぶる。

 自分はもう成人していて。それで、大人で。だから、きっと、就職して、それで……。ああ。やっぱり、悩んじゃうや。全然、子どもの頃から成長なんてしてないかも。

「早く明日にならないかな」

 思い浮かべるのは、自分とはかけ離れたところにいる、大人で何だって出来て、世界一のお菓子を作っちゃう、店長。ケーキが好き。それで、店長に……

「会いたい……のかな」

 その呟きが、風と共にかき消されていく。もう夏休みは終わってしまった。実りの秋。私は何を実らせるのだろう。しほはそんなことを考えながら、大学を後にする。

「あれ、紅茶、切れてる……」

 戸棚を開けて、ティーパックを入れている缶を開けると、そこはもぬけの殻。缶の底から金属の色が反射して、ちかちかとしほの目を照らした。

 ふと、時計をみると時刻は21時を過ぎていた。どうしよう、と悩む。けれども、何となく、今日焼いた分の数枚は今日のうちに食べて、レポートを取りたい。

 今、しほはお金を貯めている。まだ決めきれていないふわっとした、けれどもとても重要な決断のために。

 でもふわっとしているからこそ、何かしないと落ち着かなくて。そして、とても重要だからこそ、少しでもいいから出来ることをしておきたくて。

 予算がかつかつでも、お菓子を焼く練習は絶対にやめないでいた。
 そして、目に見えない成長に焦る自分を言いくるめるかのように、誰にみせるでもないお菓子のレポートをしほは書き続けている。

 紅茶をどうしようかと悩んでいると、ちょうどオーブンが焼き上がりを知らせる音を鳴らした。

「どんな感じかな」

 オーブンを開くと共に、熱気と甘い香りがしほの顔に雪崩れ込むように降り注ぐ。それらを避けるように素早くトレイを取り出す。そこから顔を覗かせるのは星の形のクッキー。プレーンと、ココア味と、マーブルの三種類。いくつか割れてしまっているけれど、見た目や焼き加減はまずまずだ。

「うん」

 もう七夕なんて過ぎてしまっているけれど、割れやすいけれど、あえて星の形を選んでみた。自分ではあんな風に綺麗な琥珀唐のカケラは作れないから、せめてもの願いを込めて、クッキーの形だけは拘ってみたのだ。

 その中から、あちっなんて言いながら一枚手にとって、家のライトに翳してみる。クッキーだから、光に翳しても宝石のように美しい、なんてはならないけれど。何かしらの希望のようにみえなくもない。

 自分一人で作ってみた星のクッキーを口へと運ぶ。スカッとした音と共に熱々のクッキーが口の中で甘い粉となって、広がっていった。

「ははっ。柔らかい。……味は、まぁまぁかな」

 冷ましてから食べるのがよいと分かっていても、この焼きたて特有の香りが強く、柔らかい何とも言えない食感が、しほは好きだったりする。

 こうやって、出来上がる工程に興味をもったのも、あの星のカケラを作らせてもらったあの時からだ。あんなに硬い琥珀唐が、乾燥させる前は柔らかいのだ。そういうものを味見で食べるというのは、作った者だけの特権だったりする。

「夏休み、終わっちゃったしなぁ」

 夏休みは多くシフトに入れさせてもらったものの、もうすぐ就活。秋ごろからシフトを減らしてもらうことで話がついている。

 お菓子を作るのが好きになったのは、どうしてだろうか。それで、いつもいつも星のカケラが自分の心を引っ張るのは何でだろうか。

 呆然とトレイに並べられた星の形のクッキーをみつめる。それと共に謎にぎゅっと胸が締め付けられて、店長の顔が思い浮かぶのは、自分ではあまり認めたくない、ほろ苦くて甘い、あの気持ち。

「だって、私、全然子どもなんだもん」

 そうぼそりと呟いて、紅茶を買いに財布とスマホだけを手にコンビニへと赴く。

 あまり夜に出歩くのは好きではない。けれども、コンビニまではほんの3分。Tシャツにジーンズ素材の短パンにサンダル。適当な恰好でのそのそと歩き出す。

 玄関を開けた瞬間からしほに付きまとう、生温い風。上を見上げても、雲が覆って星なんてみえなくって、街灯の灯りだけがしほを照らす。

 それはまるで今の自分の状況を表しているかのようで、目の前の足元しかしっかりとは見えておらず、遠い先にある、希望の星は全くもって、雲が隠して予測することができないのだ。

 それらを吹き飛ばすかのように、コンビニの明るい光がしほの視界に映りこむ。
 
 ああ、こんな風に私の人生にも分かりやすい便利なものがあればいいのに。

 そして入った瞬間に、じっとりと纏わりついていた生温かい風が、冷蔵庫に入ったかのごとく冷えた冷風でかき消されていく。
 無言でコンビニの調味料やレトルト食品、茶葉などが置いてある箇所を物色する。

「ちょっと、高いかな」

 このサイズで、この金額。コンビニでは割高になると思ってはいたけれど、やはり悩んでしまう。これはこれでもったいないけれど、一番安いペットボトルのアイスティを買って我慢することにした。

 そしてペットボトルに手を伸ばそうとしたその瞬間に、馴染み深い声が頭上から響いてくる。

「しほちゃん?」
「え?」

 見上げると、そこにいたのはつい先ほどまで考えていた店長だった。

「あ、これ? とるよ」

 そう言って、さり気なくしほには背伸びしないと届かない位置にあった紅茶をスマートに渡してくれる。

「はい」
「あ、ありがとうございます」

 冷蔵庫の扉がバタりと閉まる音がして、はっとする。ガラスの扉に映る自分の姿は、オシャレなんて一切していなくて、いくら近くのコンビニとはいえ、どうしてこんな適当な恰好をしてきてしまったのだろうと、恥ずかしくなる。

 顔に熱がこもるのを感じながら、しほは慌てて話題を絞り出す。

「えっと、店長は仕事終わりですか?」
「ああ、うん。また恥ずかしい所見られちゃったな」

 そう言って気まずそうに見せてくれたカゴの中には、いくつかの新作のコンビニスイーツと沢山のお酒とお摘みが入れられていた。

「店長でもお酒飲むんですね」
「そうだね、もう、かなりいい歳した大人だしね」

 ははは、と笑う店長の瞳はとても優しいのにどこか物寂し気で、ぎゅっと胸を締め付けられる。それと同時にこの人に近づきたい、と思うのに、自分には分からないような遥か先を見据えているような表情が決してそれを許さない。

「いいなぁ。お酒って、私、憧れるのにあんまり飲む機会がないんです」

 店長との距離をこれ以上感じたくなくて、しほはカゴに入れられたお酒を見ながらそう呟く。

 故郷を離れて一人暮らしをしているしほは、基本的に大学の授業や実習以外の時はバイト三昧だ。それに加えて、大学の大きな集まりやバイトの同期との飲み会以外では、ほぼ萌咲と杏奈としか遊ばない。

 普段明るいと言われるしほだが、意外に一人の時間も好きで、浅く広い付き合いが多く、親密に関わるのは実は親友や家族だけだったりする。

 その唯一の親友とも言える萌咲はお酒が弱く、飲み会の乾杯の時の一口以外は一切飲まない。そして、杏奈は杏奈でモデルとしての体系維持のためにお酒自体は強いが基本的に飲まない。

 さらに広く浅くに部類される付き合いの飲み会は何かと介抱に回ることが多く、周りを気にしてしまい、それはそれで飲めない。 
 飲むとしたら、親戚たちとの正月集まりくらいだろうか。

 それらを瞬時に思い、ふっと笑みを漏らす。

「成人しても、お酒もあんまり飲まなくって。何だかやっぱり、私って子どもだなぁ」

 そんなしほを一瞬驚いたような顔で見た後に、店長が今度は満面な笑みで言う。

「はは、なんか安心するなぁ。俺の方が年上なのに、しほちゃんの方がいつもしっかりしてるなって思ってたんだ。でも、そっかぁ、お酒あんまり飲まないんだ。じゃあ、やっぱり、お酒飲める分だけ俺の方が大人かな」

 そうやってこちらを見た店長の表情は、どこか大人の男性の色気を感じさせるもので、優しいはずの瞳が少し意地悪そうに揺れる。その瞳としほの瞳がぶつかった瞬間に、店長がさらに口角を緩く上げて得意げに笑うものだから、心臓が飛び跳ねそうになった。

 じっと、目の前にいる男性をしほの瞳に映るまま、観察してみる。オススメのお酒とか、お摘みを笑いながら話す店長の声はしほよりもほんの少し低くて、だけど、男性の中では柔らかくて少し高め。

 店長の瞳に自分を映してもらおうと思ったら、ぐっと首元からしっかり見上げないとダメなくらい背が高くって。それで、パリにいた頃の名残だと、金がかった明るめの茶に染めた髪をオールバックにして、後ろに一つに束ねている。髪を下ろしたところは見たことがないけれど、そんなに長いわけではなく、きっと首元半ばくらい。くくれるほうが、帽子に綺麗に入れられて髪が出たりしないから、って言っていた気がする。

 整った眉は決して吊り上がったりなんてしていなくって、いつも優しい弧を描いている。それなのに、二重のくっきりとした瞳の奥がとっても意志の強い凛々しいものだから、中性的な雰囲気なのに、絶対的な男性の色気が醸し出されている。

 仕事終わりの少し乱れた横髪の後れ毛を店長がそっと掻き揚げた瞬間に、ふわりと甘いお菓子と香水の混ざった匂いがしほにぶつかって、クラっとしそうになる。

「っつ……」

 その雰囲気にのまれて、頬がまた熱を帯びてくる。ドキドキとしているのを隠すかのように慌てて下を向き、まつ毛をパチパチと誤魔化すように大きく動かす。

「あ、ごめんね。お酒が飲めても、こんなに夢中にペラペラ喋ってたら子どもみたいだよね」
「いえ……店長は、お酒飲んでなくても、いつも大人で……カッコイイです」

 小さくそう呟くと、今度は店長がどこか照れたようにほんのりと頬を染めて、視線を宙に泳がせて言う。

「あー、じゃあ、大人な俺にここの会計出させてくれたりしない?」
「え?」

 そう言いながら店長はひょいと紅茶を手早くしほの手からとって、自分のカゴにそっと入れ込んだ。

「一応、誰かと来てたら悪いなと思ったんだけど、しほちゃん一人だよね?」

 店長が一瞬後ろを見て、そう言った。気が付けば、店内の客は自分と店長だけになっていた。

「はい、でも……」
「はは、本当に大丈夫。それよりも、せっかくだから、欲しいものあったらじゃんじゃん入れて? サービスしちゃうよ」

 そんな風に優しく言ってくれるものだから、ずっと食べてみたかった新作のスイーツも紅茶と一緒に買ってもらってしまった。

「それじゃあ、これ……」
「ありがとうございま……」

 コンビニを出て、買ってもらったものを受け取ろうとすると、ひょいと店長がそれを下げて言う。

「欲しい?」
「え、はい……あ、でも、店長に買ってもらったから、店長のものかも」

 思ったことをそのままを口に出すと、店長が噴き出すように笑い出した。

「うん、ごめんね。あげるんだけど……やっぱり、交換条件であげる」
「交換条件?」
「家、どっち? 近くまで送るよ。暗くて危ないしね」

 そう言われて、しほの瞳が大きく揺れる。家まで送る。暗くて、危ない。まるで、女の子扱いされているみたい。

 瞬きするしほを見て、店長が気まずそうに、こちらを見ながら言う。

「あー、もちろん。えっと、俺が一番危なかったら困るし、近くまで。家の近くまでで、ドアの所までは送らないよ」

 はっとして、しほは慌てて付け加える。

「あ、いえ。全然、店長なら大丈夫です! でも、本当にすぐそこなので、わざわざ送ってもらうなんて悪くて……」

 そう言うと、やっぱり店長は少し寂し気に睫毛を伏せて、小さく息をつくように笑う。

「ううーんと、それじゃあ、しほちゃんが嫌じゃなかったら、近くまで送らせてもらおうかな」

 そのまま店長の優しさに甘えて、雰囲気に流されて、家まで歩き出す。店長が長い足を、わざわざ自分の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれているのが分かる。

 新作のコンビニスイーツはやっぱりチェックするよね、なんて笑い合いながら歩いているけれど、頭の中はスイーツどころではない。店長の方を見上げては、視線が合いそうになったらぱっと下を向くというのを繰り返す。

 シンプルな紺のシャツにジーンズ。それなのに、なんだかいつもの白いコックコートじゃない店長と一緒に歩くのは、それだけで少し特別に感じてしまう。この特別な瞬間の店長を目に焼き付けないともったいないような、けれど、あまり見つめてしまったら、刺激が強すぎて、店長と従業員の日常には戻れないような、そんな気がして。みたいけど、みたくないというのを繰り返す。

 そうしたら、3分なんてあっという間で、もうしほのマンションの目の前に辿り着いてしまった。

「あ、ここです」
「…………本当に近かったんだね」
「そうですよね。それなのにわざわざすみません」
「いや、そういう意味じゃなくって。もう少し、しほちゃんと話したかったなーなんて」
「え?」

 申し訳なくて俯いていた顔を慌ててあげる。街灯のすぐ傍だからかもしれないけれど、店長もほんの少し頬が赤いような気がして、緊張して、息を飲む。

「あー、その。もう少しスイーツの話をしたかったなって。女の子の意見は貴重だからね」

 だけど、そう言いながらコンビニの袋を笑顔で見せられて、ああ、そっか。と少し残念に思ってしまう自分がいた。

「はい。私ももっとスイーツの話したかったです」

 送ってもらっておいて、パティシエの人にもっとスイーツの話が一緒にしたかったなんて言ってもらっておいて、残念だなんて思ったらダメ。そう自分に言い聞かせて、ニコリとしほは店長に向かってほほ笑む。

 すると、店長がふと、マンションの向かいの方に目を向ける。

「へぇ、こんなところに公園があるんだ。結構綺麗だね」
「あ、そうなんです。最近できたばかりで、すごく人気で。夕方近くまで、子どもたちで賑わってますよ」

 実はしほは、大学帰りによくこの公園で近所の子たちと遊んでいる。子どもたちの様子を思い出し、ふふ、と声を漏らして笑う。

「この辺りはブランコがある公園って少なくって。ブランコが大人気なんです。混んでる時は順番待ちの行列ができるんですよ?」
「そうなんだ」

 それに合わせて、店長が優しく笑い返してくれる。それが嬉しくって、笑顔が眩しくって、誤魔化すように少し早口になりながら、しほは付け加える。

「だけど、夜になったら、子どもたちもいなくって並び放題、使い放題だから。よく、友達とこのブランコでアイス食べたりして、貸し切りで遊ぶんです」
「へぇー、なんかいいね」
「あはは、そんなの言ってくれるの店長くらいですよ。ね、私ってやっぱり全然大人じゃない。すごく子どもっぽいのかも」

 そう言っていたら、なんだかまた悲しくなってきて、しほの声は少しずつ、弱々しくなっていく。進路に悩んで、お酒も飲めなくって、いつもどこか子どもっぽい自分。それで、またほろ苦く甘い気持ちを抱えているというのに、今横にいるこの男性は、そう、男の子じゃなくって男性。自分とは違って、大人でオシャレで格好良くて。しっかりとした男性なのだ。女の子ではなく、女性が横に立つのに相応しいような、そんなクールな大人の男性。

 すると、急に店長がグイっと手を引っ張る。

「じゃあさ、俺と一緒に大人にしかできない遊びをしてみない?」
「え?」
「さ、こっちこっち」

 そう言って、店長は真っ赤になったしほの手を引き、ブランコの前へと連れてくる。

「どっちが、しほちゃんのお気に入り?」

 からかわれた、そう思いながらも、悔しいとも思えなくて。むしろ一緒にまだいてくれるのが嬉しくって、ちょっと剝れながらも素直に答える。

「右です。夜間の公園のこの右のブランコは、しほ専用ですー。友達がいつも左です」
「そっか。じゃあ、今日は俺が左に座らせてもらうよ」
「あはは、別にどっちでもいいんですけどね」
「……ちなみに、その友達は男の子だったりする?」

 そう問われて、しほは不思議に思う。女子大なのに、変な質問。そう言えば、店長には女子大とは言ってなかったっけ。

「いいえ。私の大学は女子大なので、基本私と萌咲っていう友達専用です」

 大抵、萌咲とここに遊びにくる。杏奈は忙しいし、自分の家にあげる友達は萌咲くらいだ。その萌咲さえも、最近は彼氏ができてしまって、よくよく考えればこの貸し切り公園も久しぶりかもしれない。

「……でも、最近萌咲も彼氏ができちゃったから、貸し切り公園、久しぶりだなぁ」

 そう笑いながら、やっぱり右側のブランコに腰掛ける。そっか、と言いながら店長もやっぱり左側に座ってくれた。

「はい、じゃあ、今から大人のお茶会をします」
「はい!」

 そう言って、店長はごそごそとコンビニスイーツと、缶のお酒を渡してくれた。

「これ、紅茶のカクテルなんだ。これならアルコールも弱いからしほちゃんでも飲みやすいかも」
「わ、最近、こんなのあるんですね」
「うん。俺はハイボール。これはちょっとアルコールきつめだから、しほちゃんはまだダメ」
「ハイボールって美味しいんですか?」
「うーん、どうかな。好みが分かれるかな。あんまり甘くないから、最初は飲みにくいかもしれないね」
「そうなんですか」

 プルタブを開けると、シュッという音が静寂な公園に響き渡る。BGMは残暑にまだ粘るツクツクボウシの鳴き声で、まだじっとりとする生温かい風が、これは夢じゃなくて現実だということを教えてくれる。

「乾杯」
「か、乾杯」

 店長に合わせて、缶をカチャリと合わせて、一口カクテルを喉に注ぐ。勢いよく体内へと入り込んで、熱くなった身体を冷やしてくれる。この熱が残暑の蒸し暑さか、緊張による火照りか、どちらが理由かなんて、もう分からなくなってしまったけれど。

「結構、ケーキにもアルコール入れたりするでしょ?」
「はい」
「だからこんな風に、紅茶のカクテルとか、ハイボールとかってお菓子にもあうやつあるんだよね」
「そうなんですか」
「まぁ、もちろん、普通のお摘みと一緒に飲むのも好きなんだけど……眠れない時とかに熱々の紅茶にウイスキーとかブランデー入れて飲んだり、食後のデザートと一緒にそういうの合わせて飲むのも、ちょっと特別な時間になって俺は好きなんだ」
「なんか、オシャレ……」
「ははは、まさかお酒が飲めるっていうので、こんなにオシャレだ、大人だって褒めてくれるなんて思わなかったなぁ」
「お酒だけじゃないです。本当に、店長は全部が、オシャレで、大人で……遠い人みたい」
「……そう? じゃあ、こうやってブランコにのって、一緒に子どもみたいなことする方がしほちゃんは喜んでくれるのかな?」
「えっと……、なんかこうやって、大人なのに一緒にブランコに乗ってくれることが、私にとって大人な気がします」
「もう少し歳が近かったら……遠い人にはならないのかな?」
「え?」

 店長が小さく何かを呟いたけれど、しほにはよく聞き取れず、聞き返してもはぐらかされるように笑い返されて、そのまま促されるようにコンビニスイーツを食べ始めた。

「このロールケーキは、クリームが甘すぎるかな」
「そうですね。こっちは、うーん苺のジャムがちょっとしつこいかもしれないです」
「どれどれ」

 そう言って、一口ずつ交換していく、ケーキの数々。
 店長は何食わぬ顔で渡してくれるけれど、しほは男の人と一緒のものを分けて食べるということを、あんまりしたことがない。

 例えば、先輩とほんの少しの期間、お試しということで付き合ったけれど、バイト帰りに少し話すか、激辛グルメを食べに行ってお腹を壊したような記憶しかない。
 頑張って先輩の好きな色や好きなものを真似てみるということはあったものの、こんな風にお互いの好きなものをシェアする、ということはなかったような気がする。

 やっぱり、店長はこういうのに慣れているんだろうな、と思う。スイーツを交換するたびに触れる指先とかにしほはきゃっと飛び上りそうになるけれど、ずっと店長はいつもの穏やかな笑顔のままだから、しほも精一杯心を隠して、それに倣う。

 店長と従業員。企業研究にスイーツを食べているだけ。そう言い聞かせているのに、しほの心臓はずっとうるさく鳴り響いていた。

 きっと顔も赤くなっていたけれど、それは慣れないお酒のせい。まだ残る夏の暑さのせい。

「あ、これ! 美味しい!!」
「うん。これはいいね。新作の中で一番かも。うーん、この値段でこの味は、悔しいなぁ」
「そうですね。一番、味もコスパも最高です」
「これは強敵だねぇ」
「ですねぇ……でも」
「でも?」
「店長のケーキが一番ですよ」

 もしかしたら酔ってきてしまったのかもしれない。いくつめかのケーキを食べて、缶のカクテルがほぼなくなる頃くらいに、フワフワしてきてしまった。

 解放感溢れる気分で、思ったことをそのまま、笑顔で答える。
 子どもの自分には、まだ店長が好きだなんて口にはできないから。

「店長のケーキが、宇宙で一番好きです」

 せめて、店長のケーキが一番だって、伝えるんだ。

「っつ……。そっか、ありがとう」
「はい!」

 店長が、下を向いて、頭を掻きながら言う。

「ねぇしほちゃん」
「はい」
「実は隣町に、新しくイートインできるケーキ屋がオープンして、すごく人気なんだよね」
「あ、海街喫茶ですか?」
「はは、流石しほちゃん。やっぱりチェックしてるんだね」
「はい。私も行ってみたいなと思ってたんです」

 ただ、萌咲も杏奈もバイトに就活にデート。とても忙しそうで、ついて来てとは言えなくって、一人で行くには少し勇気が必要でまだ行けたことがない。

「そうなんだ。ちょ、ちょうどよかった。俺も行ってみたいんだけど、男一人だと行きづらくって、ついて来てくれる子を探してたんだ」
「敵情視察ってやつですね?」
「あー、うん。でも、正直に言うと、美味しいスイーツは普通に一度口にしてみたいって感じかな」

 はは、と笑ってそう言う店長のことを、ああ、そういうところ店長っぽい、なんてあんまりよくも知らないはずなのにそう思ってしまう自分がいた。それで何故か大人の男性のはずなのにそういう所にきゅんとしてしまって、思わず微笑んでしまう。

「店長って本当にケーキ好きですよね」
「う、うん。そうだね。それで、どうかな? 来週の定休日とか一緒に行ってくれたりしない?」

 来週の水曜日は、大学の講義もちょうど午前中までだ。

「はい! 私も行きたかったので、嬉しいです。やったー、どのケーキがオススメか調べとこっと」
「よかった、それじゃあ来週、よろしくね」
「はい!」

 こうして、真夜中のお茶会は幕を閉じた。公園で別れて、念のためちゃんと玄関まで入ったらメッセージを送って、と言われ、個人的な連絡先まで交換してしまった。

『着きました。今日はごちそうさまでした!』
『よかった、また明日ね』
『はい! ありがとうございます』

 そうしたら、普通に可愛らしいスタンプが返ってきて、ぷっと笑ってしまった。
 店長でもこんなスタンプ使うんだ。

 なんだか、じわじわと胸が温かくなる。そこに、おやすみなさいのスタンプを返したら、同じようなスタンプを返してくれた。

「な、なんか……」

 ちょっとだけ、恋人みたい。

 そんな風に思ってしまって、ぼっと顔に熱がこもる。

「これも全部、お酒のせい」

 フワフワとした気持ちで、眠る準備をしてベッドに入る。クッキーはまた明日。それで、あの店長が買ってくれた紅茶もまだ飲まない。まだ、飲みたくない。

「ちょっとだけ、特別な日に、あの紅茶飲もうかな」

 例えば、少し勇気が足りない時とか。例えば、ちょっと背伸びしたい時とか。

「それに、来週楽しみだなぁ。海街喫茶行ってみたかったんだよね~」

 そう呟いてからはたと気づく。これってもしかして……

「デート?」

 さらにぼっと顔が赤くなって、ぶんぶんと自分の首を振って否定する。

 だめだめだめ。自惚れたらダメ。敵情視察。いや、違うや。えっと……

「美味しいケーキを食べにいくだけ。ただ、それだけ」

 あれ? それじゃあやっぱり、これってデート?

 そうだったらいいな。そうだったらいいのに。

「でも、私は大人の女性じゃないしな」

 でも待って待って、あの店長と二人でお出かけ! やっぱりデートかも!
 いやいやいや、違う違う。自惚れたらダメ。

 あまり慣れないお酒を飲んだからかもしれないけれど、ずっと浮かれる気持ちと、店長は大人だしと落ち込む気持ちを繰り返し、明け方近くにようやく眠ることができた。

 うん、きっとケーキを食べるだけ。うんうん、自惚れない。

 だけど……
 やっぱりデートだったらいいな。

 

episode4

 

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